日本語教師が国家資格となりました。 
いろいろなルートがありますが、
どのルートでもどこかで筆記試験に合格しなければなりません。

  
わたしたちの学校でも試験を受ける先生方がいましたので、
勉強会を開いてみんなでいっしょに受験勉強をしました。

今日はそんな受験する学校についてのお話です。

 

「いやあ、もう覚えられないよ~」
「養成講座で習ったこと、忘れちゃったかも~」
「範囲が広すぎてどこからやったらいいのかわかんない…」
「今学期はコマ数減らしていただけますか~」

などなどはじめは悲鳴の嵐でした。 
わかります、わかります。 
年齢を重ねると目も耳も鉛筆を握る手もぶれてきますからね。 
私も、徐々にかすむ目と戦いつつ日々パソコンに向かっています。 

けれどもそんなこと言っていられません。 
日本語教師として生きていくためには、
やっぱり正々堂々と国家資格をとりたいじゃあないですか。


そこでわたしはスケジュールと解くべき問題を用意しました。 
はい、それだけ。 
教えて「くれる」立派な先生はいません。

もちろん事前に解答も解説も読み込んで準備はしますが、
基本的には参加者がお互いに教えつつ、
解説を確認しつつ進めていくスタイルで勉強を続けました。

   
最初は発言するのをためらっていましたが、回を重ねるうちに
「聞き取れなかったからもう一度」
「これってどういうこと?」
「どうして3番が正解なんだろう」
と積極的に疑問を口に出すようになりました。
そうすると誰かが「こういうことだよ」と詳しく説明してくれます。 
だれもわからなかったら教科書はネットで確認。 
「あー、なるほど。」と一同納得。

   
さすがは先生たち。やっぱり勉強が好きなんですね。 

そのうち暗記方法や点数の取り方、 問題文の読み方、など、
試験で役立つことも次々と教え合うようになりました。

 

これって、高校や大学時代に仲間といっしょに勉強したあのときの雰囲気と同じかも…・。

仲間と教え合う。 
わからないことをわからないと堂々と言う。 
答えを聞くのではなくて、考え方や理解の仕方を教え合う。

年齢も経験も性別も関係なく、
わかった人がわからない人に教えるというシンプルな学びの世界でした。

 

勉強するっておもしろい。 
だれかといっしょに勉強するっていろんな意味があるのかもしれない。 

学校に通う意味。 
クラスで仲間と学ぶ意味。 
大人になっても学ぶ意味。 
ベテランになっても学ぶ意味。 

  

国家試験ですからもちろん試験の結果は重要ですが、 
今回は、それ以上にこのプロセスが大切だったと思います。

あきらめずにみんなで明るく前向きに取り組んだことが
わたしには何よりもうれしいことでした。 
青山のキズナがまた深まっちゃったかな。

やっぱり青山の先生たちってすごい。

Teacher's                                                                「え? わからない。 もう一度!」