あの学生は日本語が上手。
よく話せる。
コミュニケーションがとれる。
留学生についてこんな評価をするときの日本語ってなんでしょうね。
日本語が「話せる」というのは実は2種類あるんです。
ひとりでスピーチのように「話せる」場合と、
だれかと会話をするとき意思疎通が適切な日本語で「話せる」場合ですね。
今日はそんな会話力についてのお話です。
わたしたちの学校では授業中、
ペアワークやグループワークがたくさんあります。
なぜなら日本語は実際に話さなければ上手にならないからです。
水の中で泳ぐ練習をしなければ泳げるようにならないのと同じですね。
学びに積極的なクラスでは見事に化学反応が起きます。
「AさんとBさんになって隣の人と練習してください」と指示を出すと、
待ってましたとばかりに練習をはじめ、
課題が終われば役割を交替したり、
自分自身のことを話したり、
時には脱線しておしゃべりを続けたり。
スマホの写真を見せながら話す姿もよく見られます。
あっという間に、わあわあといった雰囲気になるのです。
違うことを話してるなと気づいても
制限時間内では私は敢えて止めません。
楽しんで隣の人と日本語で話すことが大切だからです。
リラックスして話しているその姿こそ、
まさにコミュニケーションをしている状態だと思っています。
一方、残念なケースもあります。
ペアワークの時間なのに話そうとしない場合です。
あれ、わたしの日本語の指示が伝わらなかったかなと心配になるのですが、
授業の練習パターンは決まっているので今さらわからないことはないはず。
ペアワークをしない人が隣に座ると、
会話練習が成り立ちません。
これについてはクレームがくることさえあります。
「〇〇さんは話さないので練習ができません。席を替えてください。」と。
会話練習をしない学生には2パターンあって、
そもそも母語でも他者とコミュニケーションをしない場合。
あるいは日本語の習得が不十分で発話できない場合。
ただ日本語が不十分とはいえ、ゼロ初級ではありません。
教科書に書いてある会話練習は、極端に言えば読めばできます。
自由な会話でも「きのう何を食べましたか」レベルのテーマですから、
「ラーメン」と単語レベルでもなんとかコミュニケーションはとれるはずなのです。
それさえしないとは何なのか…。
これはもう本人の
「話したい」
「話せるようになりたい」
という意思があるかどうかではないでしょうか。
また他者に興味があるかどうかも関係するような気がします。
クラスメイトのことを知りたい、
話を聞きたいと思わなければ他者に質問はできません。
かつて上級クラスに他者と会話ができない生徒さんがいました。
よく観察すると母語でも他者と話していません。
ボソボソっと話すのですが自分からは他者になかなか質問ができないんです。
クラス内のミニスピーチではしっかり準備をして原稿を見ながら話します。
その時も人の顔を見ることができません。
作文の日本語はすばらしくて語彙力も豊富なのですが
極端な恥ずかしがり屋さんだったと思われます。
こんな場合は、会話力の「やりとり」は上手ではないけれど
「発話」力はあるという評価になります。
偉そうに会話力を評価している私ですが、
10代後半の自分自身は情けない限りでした…。
自我が確立していなかった私は大人や年上はもちろん
知らない人と話すことが苦手でした。
教師に自分の意見を言うことなんてできませんでしたね。
自分の殻が破れたときに
やっと他者と話すことができるようになった感触があります。

「〇〇さんは話しませんから、席をかえてください」
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