3ネンカン、ジッカにカエリマシタ。 」
日本語ガイドのBさんはそう話してくれました。
世界中を苦しめたパンデミック。
その辛さを一緒にわかりあえること。
そして辛い日々を乗り越えたことを一緒に喜べること。
そこに私はやはり希望があると感じます。
今日は、再び、そんな海外の日本語のお話です。
二人目のガイドさんは静かな方でしたが、
案内してくれた寺院についてわかりやすく説明してくれました。
歴史的な背景や宗教的な知識を
深く詳細に教えてくれたわけではないのですが、
暑さでクラクラしているわたしにはほどよい説明だったように思います。
これは何か。何のために作られたのか。
それくらいで十分です。
私が今でも覚えているのは、
その地では北東がよい方角で南西が悪い方角であるというそんな話。
ホテルでも家でもトイレの場所は南西とのこと。
へえ、そうなんだ。 そんな話が妙に耳に残ります。
途中、小学生たちが民族衣装を着て学校を出ているところに遭遇。
いやもうかわいすぎます。
なぜなぜ? あれは制服?
Bさんによると、木曜日は民族衣装を着て登校する日とのこと。
あとは満月の日もそうだとか。
月のお話は実はあまりよくわかりませんでした。
おそらくBさんもちょっと説明に困っていた様子。
ということで深追いせず。
島によって民族衣装は違うので、その人にとっての民族衣装でよいとのこと。
子どものときからそうやって自然に民族衣装を身にまとう習慣があるなんてうらやましい。
「私も学校で着付けとか習いたかったな。着物を着る授業とかおもしろそう。」
と家族がぽつり。
そうだったのか。
若い世代のこの言葉は聞き捨てなりません。
着物のこと、習いたいよね。 うん、わかります。
日本語学校の浴衣体験は何としても継続するぞと誓いをあらたに。
ところで、BさんはAさんほど日本語を流暢に話しません。
「3年間、日本語を話しませんでした。 もう忘れました。とても心配です。 」
とはにかんでいましたが、その気持ちはとてもよくわかります。
たしかに、外国語は使わないとすぐに忘れてしまいますからね。
でも自転車や水泳と同じで、
一度身につければブランクがあったとしてもまたすぐに思い出せるのが不思議なところ。
Bさんは話しているうちにゾーンに入ったようで、
日本語がどんどん滑らかになってきました。
これは私の職業病なのですが、日本語ガイドさんを前にすると、
私は無意識に
わかりやすい(はず?の) 日本語を話そうとしてしまうようです。
結果、家族からは「さっきの日本語はおかしかったよ」と指摘される始末。
「~ですから、とか言わなくない? 」
確かに。
「暑いので、プールで泳ぎたいです。」
これがいわゆる自然な日本語だとしたら
「暑いですから、 プールで泳ぎたいです。」
「ので」はまだ習ってないから「から」しか使えないよね
という悪しき? 習慣が私に根付いている証拠です。
「ので」だろうが「から」だろうが、
場面と文脈からじゅうぶんに伝わるのは明白なのに。
一般社会で話される言葉に、
これは既習だとか未習だとか関係ありません。
むしろ私は自然な日本語を話すべきだったのではないかと思いました。
そうすることで耳のよいかの地のガイドさんたちは
より自然な日本語を話すようになるでしょう。
いらんおせっかいとはこのことかと思案グルグル。
日本語教師魂がどこまでも捨てられない私の旅は続きます。
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