「辞書をひく」
「電子辞書はもちこめません」

こんな言葉はもはや死語かもしれません。 
少なくとも21世紀生まれの生徒さんたちには実感がわかない語彙だと思われます。 
辞書ってどうやって「ひく」の?  
電子辞書ってどんな形をしているの?  
どちらももはや映像の中の歴史的な物でしかないのです。 
生まれたときから世の中に携帯電話が存在していた人にとって携帯はどんな存在なのか、
20世紀生まれのわたしには想像もつきませんが、
少なくとも携帯に対する「当たり前」の感覚が違うことは確かでしょう。

今日はそんな携帯電話についてのお話です。

 

授業の間の10分間休憩。 
生徒さんたちは自由に過ごしています。 
お茶を飲んだり、近くのコンビニまでダッシュで買い物に行ったり、
寸暇を惜しんでゲームをしたり。 
机に突っ伏して寝ている人もいます。


でも一番多いのは、携帯を触っている人でしょうか。

ゲームだったり、
友だちとの会話だったり、
SNSを見ていたり、
内容はさまざまですが、
ここにはいない誰かとつながっているようです。 
そして当然、そのときは日本語を使う必要なんてありません。 

  

昔のことを話すのは自分が古い人間のように感じるので好きではありませんが、
ここは単純に比較というスタンスで以前のことに触れたいと思います。


携帯が日常になかったころの学校では、
習いたての日本語で生徒さん同士がおしゃべりをする姿がよく見られました。

「きのう何食べた?」
「どこで?」
「〇△§Λφ
…」
「?????」 
通じないときはフラストレーションがたまってお互い困っていましたが、
そんな時は、誰かが助け船を出してくれたり、
絵を書いたりしてなんとかコミュニケーションをとっていました。

「じゅぎょうのあと、ごはん行きませんか」
「行く」 
「あー、わたしはアルバイトある」
ちょっと不自然な普通体での会話が飛び交ったりするのですが、会話は成立。 

 

今は、携帯を使えばわからない語彙はすぐに探せますし、
行ったお店や食べた料理は検索して写真を見せれば一瞬で正確に伝わります。 
まさにマジック。 
言いたいことはすべて画像が伝えてくれるんです。


この画像マジックは授業では大活躍します。
授業の代表的な手段の一つとして「ShowTell」がありますが、
写真を見せてそれについて発表するという課題を実行する際、
携帯は便利以外の何物でもありません。 
携帯の中にある写真をそのままクラス全員に大画面で見せることができるからです。 
以前はわざわざカラーコピーしたり絵を書いたり、
紙焼きの写真を持ってこなければなりませんでした。

   
「読む」という行為も携帯のアプリを使えば魔法のようにできてしまいます。
文章にかざすだけで翻訳文が現れますからね。 
翻訳機能もみなさんすでに自由に使っていらっしゃることでしょう。 
大切な手続きで意思疎通ができない時、
大切な交渉をしたい時、
通訳できる人がいない時など、
この機能でどれほど助かったことか。

 

でもね、やっぱりどこかでちょっと寂しさを感じます。 
遠いところにいる人と携帯越しに話さなくても、
今、近くにいるクラスメイトともっと話してみたら?  
違う国から来た人のこともっと知りたくない?  
ゲームは家でもできるんじゃないかな?

   
一方、休み時間のロビーではいろいろなグループが
それぞれ母語でおしゃべりをしています。 
私はそんな姿を見ているのが大好き。 
日本語であれ何語であれ、
目の前の人と直接おしゃべりするのって
コミュニケーションの基本だと思うから。

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 「となりの人は、だれですか」