「はい、せんせい」
「わかりました、せんせい」
「さようなら、せんせい」
ん? なんだろう、この調子。
このリズム。
日本語教師という職業柄のせいか、
ほとんどの人は気にしない言葉にひっかかることがよくあります。
会話文の最後に「せんせい」をつけるのは、ほとんどが英語圏の生徒さん。
「元気? メアリー」
「いっしょにご飯食べない?ジョン」
のように英語の会話では相手の名前を呼ぶことが多いですから、
日本語を話すときでも自然とそうなるのでしょう。
今日は、そんな日本語についてのお話です。
勝手なもので、私自身は「先生」と呼ばれるよりは
「〇〇先生」と名前を入れて呼ばれると、とても温かい気持ちになります。
日本語の「先生」は敬称であって、決して個人に向けての呼び名ではありません。
職員室で先生と呼ぶと一斉に全員が振り向く事態となるわけですから、
その意味では単なる職務を表す言葉でしかないことになります。
ですから、私自身は「〇〇先生」と少なくとも名前をつけるように努力しています。
社会人として大先輩の先生方からは「〇〇さん」と呼ばれることもあります。
実は私はこれをとても気に入ってます。
教師は新人であれベテランであれ、学生からは「先生」と呼ばれます。
これは当然なのですが、周囲からも「先生」と呼ばれ続けているとやはり危険なのです。
職業上「先生」であることと人間的に「先生」であることはまったく別物だと考えているからです。
もちろん「先生」と言われることで逆に自分を律するきっかけになるという考えもあると思います。
「先生」と呼ばれる以上、教師としての言動により責任を感じて、
人間として成長できることもあるでしょう。
一方で、みなさんは生徒さんのことをどう呼んでいますか。
日本の学校でももちろん「〇〇さん」が一般的です。
教室内では当然そのように呼んでいます。
ところが職員室ではどうでしょうか。
「あの子はね…」「あの子は…」
私自身は学生のことを「あの子」とは呼びません。
なぜなら生徒さんは子どもではないからです。
もちろん高校を卒業したばかりで精神的に子どもの学生さんはいますが、
それでも「あの子」とは呼びません。
「あの子」は大人が上から目線で子どもに対して使う言葉ではないでしょうか。
もしかしたら子供のように愛しいという愛情表現なのかもしれませんが、
個人的には私はそう思わないんです。
ほかには「文法を入れる」という表現を聞いたときにもビックリしました。
へえ、文型って「入れる」んだ。
えっ? 「頭に入れるの?」 と。
実際は、その文型を「教える」だと思います。
生徒さんの頭に新しい文型を「入れる」と
頭に入って習得できるという考えなのでしょうか。
いつからどのようにこれが使われるようになったのか不明なのですが‥。
入れると入るのでしょうか??
例えば 「ない形はまだ入れてないから使えません」 は
前提が「入れると使える」になっています。
実際は「授業でまだ教えてないので、知らない学生もいます」ですよね。
そもそも「一度教えたからといってできるとは限らない」が私自身の考えでもあります。
などなど、これはあくまでも私の個人的な意見だということを強調しておきます。
自分のことを棚に上げて、あるいは自身の反省を込めて。
「この文法はまだ入れていません」
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