「日本の生活はどうですか。」
と留学生に聞くと、最近は
「国とあまり変わりません。」とか
「慣れました。」
と答えが返ってくることが多いです。 
国で日本のマンガやゲームをたっぷり味わってきた彼らにとって、
日本の景色や生活は
デジャヴなのでしょう。
あれもこれも知っている、
見たことがあるという感覚なのかもしれません。
一方で、多くの留学生が口をそろえて言うのは「ルールが厳しいです!」という意見です。 
「ルールって、たとえば何ですか。」
「時間です。」
「そうそう、遅刻がきびしいです。」
と次々と賛同意見が挙がります。 
今日はそんな日本のルールについてのお話です。

 

 わたしたちの学校では遅刻のルールがはっきりと決まっています。 
ただし特別なものではありません。
授業開始時間に遅れたら遅刻という単純な規則です。
1分でも遅刻したら遅刻です。 
東京の地下鉄や電車は事故や点検などで遅れることが多いのですが、それは理由にはなりません。
もちろん大事故で数時間電車が止まるなど公式に遅延が証明される場合は遅延証明書を提出することで遅刻扱いにはなりませんが、一般的な日本の社会のルールと同じ方法で対処しています。

これが留学生には厳しいと映るようです。 

「では、あなたの国では遅刻は厳しくないですか」と聞くと、
「はい」と答えます。 
(もちろん留学生の国や地域によって異なります)
「ちょっと遅刻してもだいじょうぶ。」 
「遅刻しない人は、嫌な気持になりませんか。」
「いや、だいじょうぶ。」

確かに時間に寛容な文化はありますから、その場合は遅刻してもだいじょうぶなのでしょう。

けれども日本の社会では学校や職場での遅刻は認められません。   

それはなぜでしょうか。

 

 日本語教師になってから、私たちにとって当たり前の日本の慣習についてその背景や心理を考えるようになりました。

頭ごなしに
「ルールはルールだから」
と言っても響きませんから、
なぜそのルールがあるのか、
なぜそのように考えるのか
を伝えることが大切なんだろうなと思います。


遅刻をしない理由はいくつもあります。 
まずは他人に迷惑をかけないため。 
9時に授業が始まっているのに遅刻して教師に入ったら、その学生にプリントを配布したり、今勉強しているページを教えたり、時間が余計にかかります。
勉強に集中している空気も乱れますね。 


10時に営業開始することが決まっているのに従業員が遅刻したら、
その店は10時に店を開けられません。 
営業的にもマイナスですし、お客様にも迷惑をかけます。


テレビのニュースキャスターが遅刻したら番組は始まりません。 
電車の運転手さんが遅刻したら時間通り電車は走りません。 
教師が遅刻したら予定どおり授業が始められません。 
約束の時間に営業マンが現れなかったら、まとまる案件も
流れてしまうかもしれません。

 こんなふうに遅刻をすると社会の約束事が乱れてしまいます。 
そして遅刻をすると、その人は「信頼」をなくしてしまいます。 

遅刻をしない、
時間を守るというのは、
相手を尊重すること。 
周囲の人から「待つ」という時間を奪わないこと。 

 私たちがこれを当たり前だと感じるのは、生まれた時からこのような考えの社会で育ったからです。
もし、私が違う文化圏で育っていたら、この考えを当たり前だと思わなかったかもしれません。

 留学生と接していると、このことに気付かされます。 
そして次の視点も欠かせません。


 人間は新しい概念を頭ですぐに「理解する」ことはできますが、「行動できる」ようになるまでには時間がかかります。
ですから、留学生には何度も何度も、繰り返し、繰り返し、伝えます。 


時間を守る。 
遅刻をしない。

tardiness
                                                                  
「ニホンはちこくがきびしいです」