定期試験という大きな期末試験を
行っています。
この期末テストの結果にかかっているので学生たちは真剣そのもの。
一方で、先生たちには違う意味での
緊張が走ります。
なぜなら、カンニングを監視しなければならないからです。
ちょっと残念なことですが、日本語学校の素顔をお伝えするために書いてみようと思いました。
今日はそんなカンニングについてのお話です。
日本語学校という日本の中の国際社会に身を投じると、さまざまな異文化に遭遇するわけですが、カンニングしている生徒を発見したときほど衝撃的なことはありませんでした。
もちろん私自身、潔癖な人生を送ってきたわけではありません。
はるか昔、小学生のときに、うろ覚えの漢字を机に書いてみたり、覚えられない歴史の年代を小さい紙に書いて筆箱に入れてみたり、しょーもない悪事を働いたことは確かにあります。
(先生、ごめんなさい。)
けれども勉強やテストの意味がわかってきた中学生以降は、正真正銘、テストは自分自身との闘いと悟って、ひとさまの答案を見たり、こそこそとカンニングペーパーを見たりしたことはありません。(キッパリ)
さて、留学生ですが、
カンニングの方法はいたって原始的です。
前後左右の人の答案を見るんです。
堂々と顔を隣に向けてみることもあれば、目玉をぎょろぎょろ動かせてみる場合もあります。
後ろを振り向いた人もいました。
机や近くの壁に
漢字が書いてあったこともあります。
隣の人を見るのは想定内ですが、
前後斜め360度に顔や目玉を
瞬時に動かすのを発見したときは、
冗談抜きで腰を抜かしそうになりました。
今の動きはなに???
まあ、それでもこれは
「見る」人が100%悪い
わかりやすい例です。
問題はカンニングさせる、
答案を見せる人がいることです。
自分の解答は見られたくないだろうというのは私の発想であって、学生にその気持ちはないようです。
見られているのをわかって
隠さないのです。
私にはこちらの方が不思議でした。
テストは競争だと考えるのならば
自分の答案を必死で守るはずなのに、
まるで隣や後ろの人に見せるように
答案を横に置いたり
体を広げたりするのです。
これにはまいりました。
テスト終了時も全く気が抜けません。
「終わりです。鉛筆を置いてください。」
という指示を出したにもかかわらず、
まだ書く。
鉛筆を置かない。
あるいはその瞬間に母語で話す、
など珍現象が勃発します。
教師の指導が足りない。
教師が厳しく監視すればよい。
クラスコントロールができていない。
指示を聞かせるべきだ。
はい、すべて正論です。
もちろん教師側にも
指導を徹底できていない
反省点はあると思います。
それでも試験中にギョロギョロ目玉を動かしたり、隣の人に見えるように答案を置いたりする「習慣」を変えるのは本当に大変です。
カンニングする人は長い時間かけて、
その人の「習慣」になってしまっている
と感じます。
また、これまで受けてきた教育環境で
カンニングが当然のように行われていたら、カンニングへの罪の意識は低いでしょう。
さらに、試験の点数1点差で
運命が大きく決まってしまうような
環境で生きてきた場合、
「どんな手段をとっても
よい点数、よい成績をとる」ことが
その人やその文化の
価値観となっているのです。
長年にわたって体に染みついてきた慣習を変えるのは本当に大変です。
留学生の名誉のために付け足しますが、上のクラスに行けばいくほどカンニングする人は激減しますし、ほとんどの学生はカンニングなどしません!!!!
カンニング対策ですか?
携帯電話やアップルウオッチなどは
試験中はすべて回収。
隣の人との間にパーテーションを設置。
席順は担任が指定。
カンニングが多いクラスは
複数名の教師で監督。
試験中もスタッフが廊下を巡回。
不正行為はその場で答案没収。
0点となります。
試験は自分との闘い。
正々堂々と戦って
清々しい気持ちを味わってほしいです。
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