「にほんのでんしゃはしずかです。 だれも話しません。」 

日本に来たばかりの留学生は、まず電車の中の静けさに驚きます。
故郷では所かまわず携帯電話で話していたのに、
日本の電車内ではさすがに彼らも電話で話すのは気が引けるようです。 
この違いに気づいた学生はひとまず異文化を理解しようとする意識があるということで合格。
残念ながらそれに気づかない学生は、これからも日本での生活で
いろいろと衝突が起こるかもしれません。
異文化って実は「音」が大きく関係しているんです。
今日はそんな「音」のお話です。

 

  外国を旅すると驚くのがクラクションの音。
始終、クラクションが鳴り響いています。
日本でクラクションを鳴らすのは、
本当に危険が迫っていて相手が気づいていない時、
緊急の時に限られていると思うのですが、
他の国では必ずしもそうではありません。 
私たち日本人はクラクションが鳴り続けていると「危険」を感じますが、
常にクラクションが鳴っている環境にいると、それほど緊急性を感じなくなるのでしょうか。

  日本の電車内でだれかが電話で話そうものなら、周囲の人からすごい視線を浴びるはず。 
あなたの私的な話なんて聞きたくない、という思いがあるのだと思います。

  では授業中はどうでしょうか。
基本的には授業中、私語は許されないので学生同士が話すときは
必然的に隠れてヒソヒソ声になりますね、日本の学校では。

  ところが、ところが、日本語学校では授業中の私語がヒソヒソ声ではなくて、
堂々たる会話としてあっという間に成立してしまうケースがあります。
(個人差や出身国の差が大きいことはもちろんです。)

  教師:「Aさん、問題31を読んでください。」 
Aさんを指名したところ、Aさんがわからなかった場合、
日本の学校では、こそこそヒソヒソと「あれ、どこだっけ?」「問題3だよ、問題3」と
周囲の学生が小さな声で教えるケースが多いと思います。
ところが、「問題3だよ」「45ページの問題3,どこ見てたの」「問題3のところ! だめじゃない」など、
近くの人だけでなく、対角線上の遠いところに座っている人からも
大声で教えてあげる人が続出するではありませんか!!!

  え、なになに。一体、なんなの?  わたしはAさん一人を指したのに、
なぜたくさんの人が大きな声で発言するのか。 
教師が学生を指名したらその学生だけが静かに答えるのが教室の規律というものなのに・・・。 

  とにかく仲間が困っていたら助けずにはいられないという
自然発生的な行動のように思えます。
不思議なことにこれは初級、初中級クラスで多く起こるのですが、
上級クラスになるとみんな徐々に日本人の「空気を読む」雰囲気が身について、
クラスで困っている学生にも他人事のような顔をして座るようになるんです。

  私自身は授業の流れを極端に妨げない限り、仲間同士の助け合いは大目に見ています。 
教えてあげる学生は真面目に教師の話を聞いているからこそ、
教師の意図を伝えようとするのでしょう。
ただ、さすがに教室の前と後ろに座っている人が大声で会話をするのは迷惑ですから注意をします。 
彼らの名誉のために付け加えますが、教師が説明している時は
みな真剣に黙って話を聞いていますのでご安心を。 

  特に初級クラスはシーンとした緊張した雰囲気よりは、
活発に声が出る多少にぎやかなクラスの方が日本語の上達も早くなります。
失敗を恐れず発話することで言葉は身についていくんですね。

  それにしても学生たちの休み時間の声の大きさときたら。
もちろん日本の中高生たちもおしゃべりしたらガヤガヤとそれなりの大きな声が出ますが、
何と言いますか、一人ひとりの声量が大きいのです。
そんなに大きな声を出さなくても十分聞こえるんですけど‥‥。
どならないでください、と言いたいレベルの人もいます。 

  物を置くときは音を立てないように置く。 
ドアを開閉は音を立てない。 
私たち日本人にとって「音を立てる」ときは何か意味があるとき。 
そんな思いが根底にあるように思います。 
みなさん、音の異文化には十分気をつけてくださいね。

train
「日本は満員電車でも、シズカですね」